新病院の建設予定地である半田市職員駐車場は埋立地です。ハザードマップでは「液状化の危険性が極めて高い地域」とされています。
過去に同じような規模で被害を受けたところは同じ被害を繰り返すと言われていますが、過去の被害はどうだったのでしょうか。
1944年に半田市は昭和東南海トラフ地震を経験しています。戦時中の箝口令により地震被害の実態は伏せられていましたが、当時の地元新聞社の報道追跡や被災者の体験談を記した図書(下記画像参照)があります。この本のなかで、中島飛行機半田製作所山方工場にいらっしゃった方の体験談も載っていました。山方工場は一瞬にして倒壊し、多くの死者をだしました。もともと紡績工場だった建物を軍需工場に改造する際、飛行機を作る空間を確保するために邪魔な柱を切り落としたことが工場自体の強度を著しく弱体化し倒壊を招いたそうです。それに加え、軟弱地盤であったことも原因の一つとされています。本のなかにも「地面は割れて生き物の如く動いている」という記述があります。掲載した資料にある「噴砂泥水」という事象も液状化現象のひとつです。以前、ブログにも掲載しましたが、戸田先生は本工場の大規模な液状化を目撃されています。液状化現象が多大な被害をもたらすことが認識され、科学的に研究される契機になったのは、1964年のアラスカ地震と新潟地震ですので、当時は「液状化」という認識はなかったそうです。さらに、戸田先生の体験談によると、源兵衛橋の東(半田病院周辺地域)と西で工場以外の建物についても被害状況が全く異なっていたそうです。
建物それ自体は地盤改良や杭工事で対策できたとしても周辺の道路、土地まですべて対策することは困難と考えられます。
現に、半田病院へのアクセス道路とされる県道碧南半田常滑線は液状化対策はされておらず、なんらかの液状化被害が予想されている道路です。 半田市ハザードマップによると職員駐車場周囲は地盤が弱いためか想定震度が高く、理論上最大モデルでは震度7と予想されております。大きな被害を出した昭和東南海地震の半田市の震度は6です。
病院はアクセス遮断リスクのより低い場所に建てていただきたいです。
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